・宇宙の骨








「今日は何して遊ぶ?」

ユウギの第一声はほぼこれに決まりつつあった。

「新しいボードゲームを持ってきた。“セネト”って言うんだぜ」

そしてアテムはいつも新しい遊び道具を用意している。

一体どこから持ってくるのだろうとユウギは不思議に思うものの、いつもすぐにゲームに夢中になってそんなことは忘れてしまう。

初めて会ったあの日から、二人は度々秘密の庭で会うようになっていた。

もちろんユウギが行ってもアテムが来ない日もあったし、ユウギが何か用事を言いつけられて中庭に行けない日もあったが、二人が会う日を約束することはなかった。
その方が会いに行くまでドキドキするし、会えた日は何倍もうれしいからだ。

そんなことですらゲームにしてしまうほどゲーム好きな二人は、会うたびに様々なゲームで対戦し、今では良き好敵手になっていた。
ユウギは初めて「ゲーム」というものに触れ、幾多の対戦を重ねるうちに自分がかなりの負けず嫌いだということを知った。
先にゲームに精通しているアテムが有利なのは仕方がないことだというのに、それでも負けたくない。

とにかく勝つまでやる。
譲歩しても自分の納得できるゲーム展開が出来るまでユウギはアテムを引き止め、何度も挑んだ。
アテムもまたそんなユウギに付き合いながら、ユウギが時々見せる思いもよらない煌めくような一手を楽しんでいた。

単なる素人発想なのだろうか。
ユウギの柔らかい思考は、アテムがいつも相手にしている大人たちでは及びつかないような角度からやってくる。
要領が悪いところはあるが、一番にゲームの本質を理解してしまうのだ。

「ユウギにはゲームの才がある」

そうアテムが褒めると、嬉しそうに照れてみせる。
本人曰く、あまり褒められることに慣れていないらしい。

「ボク…体は小さいし、力もないし……何も出来ないんだ。
セト様は何もしなくていいって言うんだけど……何かセト様の役に立てたらいいなって」

「セトか……たしか書記(セシュ)が少ないと嘆いていたな。文字でも覚えてみたらどうだ?」

「………?文字って何?」

「こうして今話していることや、誰かに伝えたいことを形として残すことだ。
ユウギの名前を残すことだってできるぜ」

アテムは指で地面をなぞり、法則性のあるその形を作ってみせた。

「残す……なんのために?」

「証さ。その時代を生き、存在してたという証明。今まで数多くの王がその功績や名を刻んできた」

「証………」

アテムの言葉を理解しようと、ユウギは一生懸命繰り返しつぶやく。

「そしたら……ボクがいなくなっても……ボクがいたことは誰かに伝わるってこと?」

「そうだ。数年先かもしれないし、何千年先のもっと未来かもな」

「……………それって、すごいことかも」

「だろ」

アテムの唇からこぼれる言葉はいつもユウギに新しい何かを吹き込む。
ユウギは新しい宝箱を開けるような興奮が体に走ると、体の中から力がみなぎる感覚に震えた。

「ボク、字を覚える。セト様のために」

拳を握り決意するユウギに微笑んだアテムだったが、あまりにもその名前が多いのでつい一言言ってしまいたくなる。

「本当にユウギはセト、セトばかりだな」

「………だって……ボクに陽の光を教えてくれた人だもの。それに、とっても優しいし」

朝議などで眉一つ動かさずに他の神官に遠慮なく意見をし、罪人に容赦なく死罪を言い渡す若き神官のことを優しいと言う人間がこの都に何人いるだろうとアテムは苦笑した。

「俺のことはどう思う?」

アテムは手の中で遊ばせていた駒を置き、ユウギの横へ移動した。

「どうっていうのは…?」

アテムの言葉の意味がわからずに、ユウギは戸惑う。
知らないことが多いユウギは、それ故に言葉を理解するのに少し時間がかかってしまうのだ。
その間にアテムはユウギを引き寄せ、その濃い紫の髪に唇を落とした。

「……ユウギはいつも太陽の匂いがするな」

ユウギの肩を抱き寄せ、頬に触れる。

「ボク、できるだけお日様の下にいるようにしてるんだ。みんなみたいに黒い肌になりたいんだもん。
でも全然焼けなくて…」

他人に接触されることになんの抵抗もないユウギは、アテムの絡まる腕に沿わせるように手を合わせた。
人と肌を重ねるのは心地いい。
それはセトが教えてくれたことだ。

ただ夜の砂漠のように冷たいセトの肌とは違って、アテムの肌は熱い。
表面は熱された砂のよう、でも長く触れていると温かくて安心する。

「俺は好きだけどな。その白い肌も、ユウギも」

今までも触れ合うことはもゲームの合間や、他愛もない会話の時に度々あったことだ。
いつもと違っていたことは、アテムがじゃれあう延長に口付けたことだった。

突然口が塞がれて、数秒息の仕方を忘れた。
ユウギは何が起こったのかわからず呆然としていた。


「…………………ユウギ?」

ユウギの反応をうかがっていたアテムは、なんのリアクションも見せないユウギを覗き込む。

「び……………びっくりしたー!!食べられちゃうのかと思った」

ユウギの純粋すぎる感想にアテムは我慢できず噴き出した。
あまり笑ってはいけないと思いつつも、そのまっすぐさはいつもアテムの心に響く。

アテムがひとしきり笑い終わるまで、ユウギは何がおかしいのかわからないまま首を傾げていた。
落ち着きを取り戻したアテムは、まだ目に涙を浮かべながら優しくユウギに教える。

「今のはキスだぜ」

「キス…?」

初めて聞く言葉にまたユウギは目をしばたたかせた。

「ああ。好きな人にする挨拶みたいなものだな。」

男同士ではあまりしないけど、とアテムは付け足したがユウギはその言葉の意味もよくわからない。

「挨拶……ねぇ、『スキ』ってなに?」

「…………そうだな………ユウギは俺と会ってない時、俺のことを思い出すことがあるか?」

そう尋ねられて、ユウギは腕を組んでううーんと少し考る。答えはすぐ見つかったようだ。

「ある!ボク、アテムのこと思い出すよ」

「それで、俺に会いたいって思うか?」

「………思う。思うよ。君に会えるのはいつだろう?って。次はどんなことをして遊ぶのかなーとか、今何してるのかな、とか」

「ユウギ………」

初めて聞くユウギの気持ちにアテムは少なからず感動を覚えた。
どうやらセトに心酔しているこの少年の中にも、自分はいるらしい。

「それが『好き』ってことだ」

「………!そうなんだ!」

ユウギはまるで世界の謎を一つ解き明かしたようにパァっと顔を輝かせた。
知らないことを知る度、ユウギは頭の奥が刺激されて自分の視界が広くなったように思える。

「ボク、は……アテムが、好、き……」

反芻してその言葉を心に刻み付ける。

(ああ、ボクが今文字ってものを書くことができたなら、今すぐこの言葉を書き付けるのに)
ユウギはそんなことを思いながら、ある重要なことに気がついた。

「アテムは?アテムはボクのこと好き?」

「ああ。好きだ。だからキスした」

「キスって……今の口と口を合わせたやつのこと?」

「そうだ」

「そうなんだ!好き、とキス、ってなんだか似てる…」

「キスは愛の印だからな」

「アイ?」

「それはまだユウギには早いな」

「なんだよ、ケチー」

お預けを食らって、拗ねる。
わからないことはわかるまで食い下がるユウギだが、アテムの判断はいつも尊重していた。

頬を膨らませるユウギを、アテムは愛おしげに見つめ、再び引き寄せる。

「来いよ」

「キス…………またするの?」

「今度はユウギから俺にしてくれるか?」

「あ!ボクが君を『好き』だからだね?」

「そうだ」

「うん!」

知ったことをすぐ実践できてユウギは嬉しくて仕方がない。
見よう見まねでアテムがしたように、そっと唇を押し付けてみた。

「…………っ!やぁ………んっ…何っ?!」

途中までうまくやれていたのに、突然アテムが舌を出しユウギの口内に侵入したものだからユウギは驚いて離れる。

「どうして舌を出すの……ぬるぬるするじゃないか」

ちゃんとさせないつもりなのかとユウギは抗議した。

「これが本当のキスだからさ」
「ええ〜〜!?気持ち悪すぎるよ……」

唇をぬぐっても消えないアテムの舌の粘膜の感触がまだ残っていて、ユウギは顔をしかめた。

「本当にそうか?もう一度してみようぜ?」
「う〜ん………………もう一回だけね。今度はアテムからしてよ」

あまり乗り気ではないながらも、ユウギは折角知ったキスというものをちゃんと知りたくて、渋々承諾した。

「何があっても絶対噛むなよ。楽にして、俺から与えられるものを感じればいい」
「う、うん…………」

ゆっくりと近づいてくるアテムに、ユウギは急に胸が跳ねた。
あらためて見るアテムの陶器のような肌や、目尻の黒の化粧、慣れたはずのアテムの纏うお香の匂い、
目鼻立ちのはっきりした精巧な顔の作り。

美しい、とは。
見とれる、とはこういうことを言うのだが、まだそれを知らないユウギは、頬を紅潮させ、
目を堅くつぶって胸のドキドキを振り払おうとした。

やがて再び唇が重なり、アテムの舌がユウギの歯列をなぞり始める。
ユウギは離れたい衝動を我慢しながら、ギュ、っとアテムのマントを握って耐えた。

「……………!んっ………」

器用な舌先は優しく歯列を押し上げ、ユウギの小さな舌を絡めとる。
角度を変え、軽く吸ったり、ユウギの唾液を味わうようにアテムの口付けは益々深くなり、ユウギはその甘さに体中の力が抜け、腕はだらんと下がり、一身にその行為を受け止めた。

「はぁ……んっ、ん…っ、アテム………」

口内に響く水音が直接脳に響くたび、ユウギは何も考えられなくなっていく。

もっと欲しい。
もっとアテムを感じたい。

肌を合わせる安らぎよりも口付けがもたらす痺れるような快感に夢中になって、ユウギは自分からも舌を動かし、
アテムの味を求めた。

「ん……っ、………ユウギ……」
「アテム……っ…」

乱れる呼吸も構わず抱きしめあう二人は体の線さえもどかしい。
まるで磁石のように惹かれあい一心不乱に互いを分け合った。

しばらくしてアテムがついばむようなキスに切り替えると、やっと一呼吸置く。
唇が離されてもユウギは熱に浮かされたようにボーっとしていた。

「…………どうだ?」

アテムは不敵に笑い、わかりきっていても答えを言わせる。

「………うん……すっごく気持ちよかった………」

その答えにアテムは満足し、ゲームを再開しようとした時だった。



「アテム様、どちらにおいでですか」


二人だけの庭に、初めての来訪者。
ユウギは驚いて、アテムの後ろに隠れる。


「…………ここだ」

遠くで動く影にアテムが返事をすると、その人物はゆっくりとした歩調で石畳を歩いてくる。

白い装束に身を包み、手足に黄金の装飾具、首輪に冠。
胸にピラミッドがモチーフの首飾りを下げ、それを守るようにリングが囲い、細長い飾りが揺れていた。


「こちらにおいででしたか」

青年はにこやかに笑い、アテムの前で膝を付く。

「マハード様……!?」

何の用だ、と言おうとしたアテムはユウギがやって来た神官の名前を口にしたことに驚いた。

「……マハードを知っているのか?」
「う、うん」

ユウギはセトの宮から抜け出していることがアテム以外の人間に知られてしまい、セトに告げられやしないかとソワソワしていた。

「ユウギか………見違えたぞ。すっかり大きくなったな」
「はい…セト様に、とても良くしてもらっています」

ユウギのしっかりとした物言いにマハードは感慨深げに微笑んだが、なぜ二人が面識があるのかアテムは見当もつかず、少し面白くない。

「あ、あのマハード様、ボクがここにいたってことは…」
「…セトは知らないのか。ああ、わかったよ。私はいつでもお前の味方だ」

その言葉にユウギはほっと胸を撫で下ろす。

「なんの用だ、マハード」

一人憮然としたアテムに、マハードはうやうやしく一礼した。

「祭事のことで、アテム様のご意見をいただきたく…」

どうやら、遊びの時間は終わりらしい。
アテムはため息をついてマントを翻すと、階段を下りた。

「わかった。行こう。ユウギ、またな」

「うん。またね、アテム」


ユウギはアテムに手を振り、照りつける太陽が作る通路の影に二人が溶けて行くのを見送った。


「マハード様…………」

思えば光のあるところで彼を見たのは初めてだ。と、ユウギは気がついた。

自分が知っている彼はその声と、シルエット。
小さなろうそくの火が教えてくれる、僅かな目の輝き。

長い時間を彼と共に過ごしたというのに、初めて彼の顔をちゃんと見た。
もっとも、その時彼が自分を『人』と認識していたかはわからないけど……

アテムが去り、急速に陽が傾き始める。
伸びてくる建物の影がまるでユウギを捕らえるようにまとわりつき、ユウギは寒気を覚えた。

「さ、寒…………」

もちろんこの灼熱の国において汗はかくことがあっても日中寒さを感じることなどないに等しいが、ユウギは身体の芯から底冷えするような冷気に支配され始める。

それは夜の闇。
冷たい鉄の温度。

ユウギの脳裏に残る暗闇の記憶にガクガクと震え、うずくまった。

「寒い………寒いよ………助けて、セト様……………あ………アテム…」


ガタガタと歯の奥を鳴らしながらも、ユウギはその名を呼ぶ。


『アテムはボクのこと好き?』
『ああ。好きだ。』


はにかむように笑うアテムを思い出す。
自分のことを好きだと言ってくれた。
その証である……キスをくれた。

太陽のように温かいその人。


「……………………あ、消えた………」


気がつくと爪の先にまで至った寒さはなくなっていて、ユウギは安堵で息を吐いた。
唇に残るアテムの感触を確かめるように、なぞる。


「アテム…………」


声に出すと、まるで呪文のように心が温かくなる。
雨季の後、雲間から刺す光の階段のように希望が満ちる。


「これが好き、ってことなんだ……」


遊戯はしばらく、風に揺れる睡蓮の花びらを見つめていた。






*  *  *




「……………マハード、なぜユウギを知っている?」

王宮へ戻る途中、ユウギのことを喋る気配のないマハードにアテムは自分から尋ねた。

「なに、ささいな縁ですよ。以前私が遠征し、制圧した村の生き残りです。
あの肌の色のせいで長い間監禁され、衰弱していました。今は大分健康になったようですが、あの子はアテム様と同じ歳ですよ」

「………………そうだったのか。てっきり、年下だと思っていた」
「普通はそう思いますよ」

マハードは苦笑いをし、アテムをフォローする。

「うちには不肖な弟子がおります故……困ったあげくセトに押し付けました。情操教育の足りない彼には、誰かの面倒を見るという経験はぴったりだと思いましてね」

「まぁ、確かに…」

今のところその成果は、ユウギにのみ効果が現れているようだが、とアテムは思った。

「それより、もうすぐ戴冠の儀です。本来なら王妃を娶り、一緒に即位するべきですが…」

「父上がああなった以上あまり悠長にもしていられないからな、適当な姫がいないのだから仕方がないだろう。
民を安心させてやるのが先だ」

「そうですね………」

本来ならもう数年、アテムは王子としてファラオに必要な教養や体術を学び、誰もが認める王としてこのエジプトに君臨するはずだった。
知識も多く、切れ者なアテムが現段階で足りないわけではないが、それでも経験や身体の未熟さは補いきれないだろう。

マハードは生涯を懸けて仕えると誓った主人の不運を憂いながらも、自分に言い聞かせるように言った。

「あなたは民に愛される立派なファラオとなるでしょう。このマハード、そのためには命など惜しくはありませぬ」

「……………お前の命などいらない。俺のためにというのなら…生きて功を立てろ」

「……身に余るお言葉です」


王宮に戻り玉座に集まった神官団に迎えられると、矢継ぎ早に意見や報告を求められ、アテムはすぐに国事にとりかかった。



そんな様子を一歩引いて眺めていたマハードは、誰にも聞えない声で呟く。



「あなたのためなら………どんな犠牲も厭いません」








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