・君ノ声







バーガーワールドに入った二人は窓側に席を取り、電子パネルに映し出されたメニューのページを指でくるくると回した。

バーガーワールドはファーストフード店であるにもかかわらずファミリーレストランのようなゆったりとしたソファー席で、オーダーするとウェイトレスが席まで運んできてくれる。
ちょっと高級志向なのに値段はお手ごろという消費者に優しい営業スタイルが受けて、一号店がオープンしてから数十年たった今でもネオ童実野シティの人々に愛されていた。


ああでもないこうでもないと楽しそうにハンバーガーを吟味する遊戯を見つめながら、アテムは昨夜のイシズとの会話を思い返す。







「相棒に…彼女に前世の話をすることは駄目なことだろうか」

武藤家から戻り、滞在しているホテルの一室でのことだ。
アテムの問いにイシズは慎重に言葉を選ぶ。

「…………そうですね、止めはしませんが説明したところで彼女が全てを理解することは難しいでしょう。
同じ魂とはいえ、彼女はこの時代に新しく生を受けて、彼女なりの感性で経験を重ね、武藤遊戯という名の女性として
16年間生きてきたのです。すべてが同じようにというわけにはいきません」

主人といえど年下の青年に、諭すようにゆっくりと語りかけた。

「アテム、あなただって今世はこうして肉体を与えられ、今日まで新しい世界に触れてきたのです。
3千年前はもちろん、前世のあなたとも違った人間と言えるでしょう。
あなたがどれほど武藤遊戯に会いたがっていたのかはわかりますが、以前の彼を過度に求め、
押し付けるのはあまり感心しませんね」

イシズの言うことはもっともなことで、アテムも頭では十分わかっていた。
わかっていたが、湧き上がる思いがどうにもならず誰かに言葉にしてもらう必要があったのだ。

「そうだな………」

聞き分けたような返事をしてはいるが、その表情は辛辣だ。
ため息をついてソファーにもたれかかり、天井を見上げ、自分に抱きつかれた時の目にいっぱい涙をためた遊戯を思い出す。

いくら性別が変わっているからといって、あんなに印象が違うものなのか。


相棒はあんなにおどおどしてないし、人の顔色を伺うような真似もしないし、
もっと頼りがいがあって、優しくて、強くて……

そうこぼすアテムの言葉を聞いて、イシズは苦笑してしまった。

彼が口にする印象はどれも、それこそ自分が前の世で遊戯に初めて会ったときに抱いた印象と同じだったのだ。
体が大きいわけでも力が強いわけでもない、王の器として不十分なのではないかと最初は心配だった。
バトルシティはそれを見定めるための遊戯への試練だったと言っても過言では無い。

しかし彼は見事、充分すぎるほどそれを証明して見せた。
最期の決闘の儀では王を冥界に送るという重要な役割を果たし、王の器として、いやそれ以上、魂の片割れとして王を支える強い心の持ち主だったのだ。

武藤遊戯という人間を少しでも知れば一見頼りなげな印象もすぐ見直すことになるだろうに、
アテムは今、最初の壁にぶつかっているのだ。

一つの体を共有していた分、お互いをわかりすぎるということはあっても客観的な視点で見るということがなかったのだろう。
少々気の毒には思うが、イシズはおかしく思わずにはいられなかった。


「新しいあなたで、新しい彼女に触れてごらんなさい。あせらず、ゆっくり…」


得意のアルカイックスマイルで微笑む彼女は、その力を失ったとはいえある程度先の未来を知っているんじゃないかとアテムは思った。
なんにしてもこうして日本に来てしまったのだ。


やりたいようにやるさ。


 アテムはそう言って、目を閉じた。





「うーん、やっぱりダブルチーズバーガーにしよう」

長い葛藤の末運命の決断を下した遊戯は、迷いが出ないうちに勢いよく注文ボタンを押す。
生まれかわっても好きなハンバーガーは同じだということにアテムは喉の奥で笑ってしまった。


「………?決まった?あ、もしかしてメニュー読めない!?ごめんね…気付かなくて」

「俺はアイスコーヒーだけでいいぜ」


押さえ気味の感情の無い声と強い目線に遊戯は萎縮してしまうが、それがアテムにとっては標準的なことだということはまだ彼女は知らない。

そういえば空腹なのは自分だけだったことに気付き、遊戯は急激にすまない気持ちになって肩を落とした。
待たせてしまったことをまだ怒ってるのかもしれないし、こうして買い食いを提案してくれたものの嫌々つきあってくれているのかも…

会話は途絶え、楽しい放課後の寄り道とはほど遠い。
店内で流れる軽快な音楽だけがが二人の間に流れていた。

なにか、なにか話さなければ。
獏良とはあんなにエジプトの話をしていたのに、いざエジプト人の彼の前では何もしゃべれないなんて…

空っぽの胃がきゅうっと締まるのを感じ、あせるほど何も浮かばず、
遊戯は腕時計の秒針がいつもより遅く点滅している気がした。



「お待たせしましたーっダブルチーズバーガーセットのお客様」


天の助けのようなウェイトレスの声が響き、営業スマイルが心なしかいつもより輝いて見える。
目の前に運ばれたトレイの上のご馳走を見て、遊戯はアテムのことなど気にしている余裕はなくなってしまった。


「わぁ!ボク、ここに来るのひさしぶりなんだよね」

独り言ともつかない遊戯の言葉への返事をしない代わりに、アテムはブラックのアイスコーヒーをストローで吸い上げる。
遊戯は気にもしないで頬を紅潮させながら夢中でポテトを口に放り込み、ばくばくとバーガーをほお張り、溶けたチーズの糸を垂らした。

あまりの食べっぷりにアテムはしばしあっけにとられ、苦笑し、頬が緩み、噴出した。


「そんなにおいしいか、相棒」


(笑った…!)


「おいしいよ、だってお腹減ってたんだもん」

女だからといっておしとやかに食べる気など毛頭ありませんと澄ました顔をしながらも、遊戯はアテムの笑顔に釘付けになっていた。
初めて会った時に、一瞬だけ見せたあの笑顔。
なぜか目がそらせなくて。


「確かに、あの音を聞いたらうなずけるな」

「ううっ……」

痛いところをつかれたと思いながらも、遊戯は二人の空気が緩んだように感じた。


「君も食べる?」

「いや、相棒が食べてるのを見てるだけで充分」

「そう……あ、エジプトにもバーガーワールドあるの?」

「俺の国にはないな……ずっと来たかったんだ」


(相棒と、)


アテムは最後の言葉を飲み込んだ。

そんなに来たかったのならハンバーガー食べればいいのにと遊戯は不思議に思いながらも、コーラの炭酸に鼻腔の奥がくすぐられその甘さに目を閉じる。


テーブルを挟んで対面に座る遊戯の姿に、アテムは感慨深げに目を細めた。
かつて意識体であったときも二人で何度も来た場所だ。
店内の様相は時代とともに変化しているものの、大まかな雰囲気は変わっていない。

本人は気にしていなかったが二人の会話がまるで遊戯の独り言のように周りにいぶかしまれることもないし、
足を組みかえるたびにコツンとあたるつま先や、遊戯の大きな瞳に映る自分の姿、窓から差し込む夕陽が落とす二つの影、なにもかもが新鮮で、すべて切実に望んでいたものだった。


「ケチャップついてるぜ」


え、


と遊戯が顔を上げる間に、言ったと同時に伸ばされた手が遊戯の頬に触れ、赤いそれを人差し指で拭った。


あ、


と遊戯がその赤が遠のくのを目で追っていくと、それはアテムの口からちらりと現れた舌に絡め取られてしまった。
一体何が起こったのか、数秒後に理解した遊戯は持っていたポテトを落として顔を真っ赤にした。


な、なに今の。
信じられない、すごく手馴れた感じだった…

妹がいてなにかと面倒見のよい城之内に拭ってもらうくらいのことは過去にあったかもしれない。
それでも指でなんてことはないだろう、あってせいぜい紙ナフキンだ。

遊戯がもじもじと反応に困っている理由にも気付かず、
アテムは初めて遊戯に触れて、懐かしいような新しいような感覚とともに甘酸っぱいトマトソースを味わった。


「どうした?相棒」


彼はどういう人なんだろう。
昨日と今日、さっきと今と、まるで違う顔を見せる。


「………どうしてボクのこと、相棒って呼ぶの?」


素朴な疑問だったが、なんとなく聞きづらくて遊戯は伏せ目がちにに問いかけた。


「…………嫌か?」


アテムは意識的に問いには答えずはぐらかす。


「嫌、というよりは変っていうか…。
だってボクたちまだ会って間もないのに…そりゃあ君とは友達になれたらって思うけど。
相棒っていうのはね、パートナーとか、親友、そうだなぁ、たとえば大ピンチの時に背中を預けられるくらい信頼している人を呼ぶのもなんだよ」


(…まさにその通りじゃないか)

自分にとって相棒は武藤遊戯以外にいない、と言ってしまいたかった。

が、遊戯はアテムが日本語の選択を間違えているのだと思っているのか、それを正そうとしているのだ。
内心がっかりしながらも、アテムはこう返した。

「じゃあ、なんて呼べばいい?」

無表情に戻ったアテムに若干機嫌の悪さを感じ取った遊戯はおどおどしながら視線を泳がせ、応える。


「……普通に遊戯でいいよ。みんなそう呼ぶし」


その他大勢と同じにされることはかなり不本意ではあったが昨夜のイシズとの会話がいくらか手伝っていたこともあり、アテムは渋々承諾した。

「わかった。じゃあ俺のことはなんて呼んでくれるんだ?」
「え……」

まさかそうくるとは思っていなかった遊戯は急にドキドキと胸が高鳴った。
射抜かれるようなアテムの目線は心の中まで見透かされそうで。


「そ、そうだね…イシュタール君、じゃ長いし…あ、アテム君とか…」

少なくともアテムが自分に歩み寄ってくれていることはわかる。
遊戯にとっては異性を名前で呼ぶことですら精一杯の譲歩だった。

「『君』はいらないぜ。」
「でも……」


「呼んでみてくれよ、『ユウギ』」
「ええっ」

口をすぼませる遊戯が困っているのを楽しむかのように、アテムがその名を口にしたときだった。


ゆ、う、ぎ。

その三文字に心臓がドクンと跳ねる。

前世においてそれは自分を差す言葉であった。
遊戯と呼ばれ振り返り、遊戯に降ってかかる様々な困難を自分が受けて立ってきた。

今改めて他人として呼ぶその名前を声に出してみる不自然さからくるものなのか、アテムは不思議な違和感にとらわれしばし放心していた。


「あ………アテム………」


照れくさそうな遊戯の小さな口から零れ落ちる自分の名前。
その声が耳に届くと、さらに体の芯が揺れるような電流が流れた。


「………なんだ?」

「え?」

「………いや、なんでもない」


前世でも本来の名前で呼ばれたことなど数回しかない。
それこそ、別れ際の、あの別離の時。

なぜだろうひどく懐かしい感じがする。


胸に去来する漠然とした感情を解明できず、アテムは釈然としないままだったが


「ボク、男の子を下の名前で呼ぶなんて君が初めてなんだもの」


という遊戯の言葉に気をよくしたのだった。








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