・夢幻泡影






「えー今日は転校生を紹介する。
エジプトからの留学生で、アテム・イシュタール君だ」


先生が名を告げる横で学ランの第一ボタンを外し、黒のシャツを首元で見せながら不遜に立っている人物は
無言のまま軽く頭を下げた。

「イシュタール君はエジプトの政府高官のご子息で…
ご両親の都合で今回この童実野高校に…」


日本語も堪能で、母国では飛び級で大学院の修士課程。

(…じゃあ日本でも大学に行けばいいのに)


先生が転校生の長すぎる学歴をベラベラと挙げ連ねる中、クラスの女子は海馬瀬人級のハイレベルな転校生に色めきたっていたが、ただ一人、遊戯は窓際の席で大きくため息をついた。


まさか同じクラスになるなんて…


教壇に立つ彼の即頭部には昨日遊戯が作った打撲跡があるはずた。

突然押し倒されたあげく下着まで見られて、
パニックに陥った遊戯は祖父の客人の中でも主賓である少年を打ち所悪く気絶させてしまったのだ。

我ながら大立ち回りだったと後悔にかられながらも遊戯は昨晩を回想した。




客人の一人であるイシズ・イシュタールという人は恐ろしいほどの美人で、
豊かな黒髪に造形の深い顔立ち、浅黒い肌と麻でできた民族衣装はエキゾチックな彼女の魅力をさらに引き立てる。

失神している彼女の主人の無礼にうやうやしく頭を下げるとしばらく遊戯の顔を凝視していた。
ビー玉のように丸く、黒目がちで物言いたげな瞳に遊戯は吸い込まれそうな感覚に陥ったが、
美人はやがて上品な笑顔で、

「はじめまして。武藤遊戯さん」
とニッコリ笑った。

同性でも憧れていしまいそうなほどの丁寧な振る舞いに、彼女に謝罪させてしまった自分の方が悪いのではないかと
遊戯が思い始めたほどだ。
いくらか落ち着きをとりもどし、あわてて返事をした遊戯はめくれたスカートを直す。

「おぉーなかなかハデにやったもんじゃのう」

後方から祖父がのんきに笑っている。
母は惨状を見て頭を抑えていた。

「ハハッ、さすがは武藤遊戯。アテムにこんなことできるのは君しかいないね」

おかしくてしかたがないのを我慢するかのように口元を押さえていたのは
もう一人の客人であるマリク・イシュタールである。

彼は姉とは違いくすみがかった金髪を肩まで垂らした青年で、薄紫のノースリーブのシャツにGパンと現代的な格好をしていた。こちらも姉に負けず誰が見ても美形だと思うほど整った顔をしていて、遊戯は二人のあまりの煌びやかさに目を何度も瞬かせた。


「マリク」

威厳のある声色が響くとマリクは瞬時に真面目な表情に変わり、気絶したままの暴漢、もといアテムと呼ばれる少年を抱き起こしてリビングまで運んだ。

覆いかぶさっていたものが取り払われ息をつく遊戯は、マリクが姉には見えないようにニシシと笑ったのが見え、
姉と同等に弟とも目が合うと、彼もまた遊戯を珍しいものを見るかのように凝視していた。

さっきから一体なんなんだろうと、突然の出来事の連続で遊戯の頭上にはハテナマークが浮きっぱなしだ。

リビングに座りなおした遊戯は改めて説明を受け、

飛びついて来た人物の名はアテム・イシュタールであること、
(イシズ、マリクとは同じ一族ではあるが血の繋がりはないらしい)

アテムは日本に留学するために来日し、しかも留学先は遊戯と同じ学校だということ、
そして一人暮らしをするアテムを何かと気にかけてほしいということだった。

祖父は元より面識がありもちろん快諾していた。
母も異存はないらしく、むしろ家に空き部屋がないことを残念がる始末で、遊戯だって出会い頭にあんなことさえなければ心から歓迎できただろう。

なぜなら遊戯はエジプトに強い関心を持っていたからだ。
多分に祖父の影響は受けているものの、エジプトのことを考えるとひどく胸がざわめき、締め付けられる。

感傷的になりすぎている時などは「帰りたい」なんて郷愁に駆られ、自分自身でも驚いたことがあった。

お金を貯めていつかは訪れたいと思っていたし、エジプシャンの友人が出来る機会などめったに無いのに、
初対面の印象は、なかり悪い。

「彼はどうしてボクに襲いかかってきたんですか?」

「へぇ、遊戯は女の子なのに自分のことボクって言うんだ。どうして?日本では男の子が使う言葉だよね」

「え……」

突然の質問に遊戯は言葉を詰まらせる。
実はいつも見ている夢の中の自分が自分のことを「ボク」と呼んでいるからだなんて正直に言えば
ちょっと頭のおかしい子だと思われるだろう。

「この子ったら中学に上がった辺りから急にボクなんて言い出して。思春期ってやつですかねぇ
私も直すように言ってるんですけど」

「もーママよけいなこと言わないでよ」

いらぬ母親のフォローに遊戯は頬を膨らませる。

「マリク、話の腰を折らないでちょうだい」

律するようにイシズが制すると、遊戯と対面に座ったイシズはニッコリと微笑んだ。

「アテムはあなたに会えるのをとても楽しみにしていました。その気持ちが大きすぎてついあんなことを…
何度でも謝りますので、彼の非礼をどうかお許しください」

深々と陳謝するイシズに遊戯は慌てる。

「いえ、ボクこそ驚いちゃって……あなたたちの大切な人なのに、ごめんなさい」

もっと怒ってもよさそうなものだというのに、一体何に謝っているのか。
少女はあんなことをされたにもかかわらず、自分たちの主人を傷つけたこをと姉弟に謝っているのだ。

「……相変わらずですね、遊戯」

「え?」

「いえ、アテムがお世話になる方々がよい人たちで安心しました」


「…あ、アテムが目を覚ましたよ」

壁に寄りかかっていた少年は覚醒すると同時に勢いよく立ち上がった。

「―――――っ痛ぅ…」

脳が揺れるほどの衝撃を受けたせいかアテムはふらふらと足元がおぼつかない。

「大丈夫!?」

支えようと駆け寄った遊戯が顔色を覗き込むように見上げると、
アテムは一瞬笑顔を見せた……かと思うと急に瞳の温度は下がり、一転して険しい表情になる。


「……帰る」


そう一言つぶやくと、遊戯の手を払って本当に玄関から帰ってしまい、マリクが慌てて後を追う。

イシズもいそいそと

「夜分に失礼いたしました、では明日から色々お願いしますね」とだけ告げると異国の3人は武藤家を去ったのだった。





そして、今に至る。

現実で色々あったせいか、遊戯は初めてセト以外の登場人物が出てくる夢を見た。
例のごとく二度寝してしまったせいで詳しくは覚えていないが、とにかく中学から夢を見続けて以来、そんなことは初めてだった。

意識を集中させて思い返してみても、その人物の顔さえ思い出せない。
なにかとても重要で、大切なことのような気がするのに…


「――――― …ということで、イシュタール君は窓側近くの、空いている机を使ってくれたまえ」



え……!?


途中で関心を失っていた壇上の先生の言葉が急に耳に入り、その内容に遊戯はがっくりとうなだれる。


やっぱり……なんで朝から急に机が増えてるんだろうって思ったよ………


ひょっとしたら担任は自分の家が彼と懇意なのを知ってるのかもしれない。
だとしても、遊戯自身が彼と気まずいことなどお構いなしにその指令は無情に下される。

イシズはああして謝ってくれたものの、アテムからはなんの謝罪もないし、昨日の不機嫌そうな冷たい表情が忘れられず、遊戯はこっちから笑いかけてやろうなんて気持ちにはこれっぽっちもなれなかった。


教室中の注目を一身に受け、アテムが悠々と教室の後ろの、遊戯の右隣の席に腰掛ける。

遊戯は十二分に意識しながらも、努めて彼の方を見ないように机の木目とにらめっこしていた。


「…い……ぼう」


隣の席で、アテムが誰にも聞こえないような声で何かを呟く。


「…………?」


遊戯はその声にただ一人気付いたが、顔は背けたままだ。


そういえば昨日、彼は自分のことを『相棒』と呼んでいなかっただろうか。
その後の衝撃的な出来事でうろ覚えだが、そんな気がする。

妙に耳になれた、その言葉。


もちろん彼に相棒だなんて親しげに呼ばれる理由など一つとして思い浮かばなかったが、
突然またもや不用意に胸がドクン、と跳ねた。

昨夜感じたものと同じものだ。


一体昨日からどうしたのか、何か悪い病気ではないかと遊戯は不安に駆られ、
ドクドクと体を走る血液の音が聞こえるのを鎮めようと必死に息を整える。

教室であのペンダントを出すわけにはいかなかったが、服の上からでも手をあて、ウジャトのシルエットを頭に思い描いた。


…大丈夫、大丈夫………



やがて謎の動悸はしばらくすると収まり、遊戯はどっと疲れて息を吐いた。
まさかこの歳で血圧が高いだのなんだの病気のたぐいではないだろうと思いながらも、
母親に相談すべきかどうか頭を唸らせていた。



そんな様子を、どこか悲しげに見つめる転入生の瞳も知らずに。






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