・迷宮の華









「どうしよう……」


広大な敷地、天ほど高いオベリスクと呼ばれる柱が並び立ちまるで黄土の森に迷い込んでしまったような感覚に囚われ、ユウギは途方に暮れた。

自分に許されている範囲以外の場所に立ち入ってしまったことが自分の保護者である美しい青い目の人物に知られれば、言いつけを守らなかった自分は失望され、罰を受けることすら叶わないほどに見捨てられてしまうかもしれない。

温度の下がった氷のような瞳を思い浮かべるだけで、背筋にイヤな悪寒が走った。

しかもその理由が一匹の蝶を追うのに夢中になっていたからだなんて…
言い訳にしてももっとマシなものがあるだろうに。

しかしあの人に嘘をつくなどということは到底考えられない。


何度も同じような場所を行ったり来たりし、似たような部屋を通り過ぎ、階段を上がり、下り。
まるで迷路のようだ。
セトの宮ならもうだいだい勝手がわかるのに、見慣れない景色は彼の宮ではないことを嫌というほど教えてくれる。

焦りが額ににじみ、こめかみを伝って汗が流れた。


やがて小さな中庭にたどり着き、石造りの池に浮かぶ淡い桃色の蓮の花びらにさっきまで追っていた蝶が止まっていることに気付く。

「……君、こんなところにいたの」

もはや蝶などに関心はなく、自業自得だとわかってはいても恨めしく思ってしまう。
この美しい羽があれば宙に舞い、空の上から簡単に帰れるのに。


水鏡に映った自分の顔は今にも泣き出しそうだった。

叱られるという怖れより、
もうあの宮の、青い波の中のあの人の腕に戻れないのではないかという不安が大きくなり、瞳が滲み始める。

丸い円を描く形のよい蓮の葉がところせましと浮かぶ水面にポタリと一粒涙が落ち、
波紋が小さく水面を揺らした時だった。


「………ここで何をしている」


人の声。

嗚呼、助かった。これで宮に帰れるとユウギは嬉々として身を翻した。


「…………………」
「うそ………」



互いに息を飲む音が聞こえた気がした。

なぜかというとそこにはもう水鏡はないのに――――
二人はまるで生き写しのようにそっくりだったからだ。

黄金の前髪に、くせの強い髪形、深い紫の瞳……


もちろん違っているところも多々あれど、個人を認識するのに重要な要素がほぼ同じだった。


「見ない奴だな。名前は?」


突然のことに雷に打たれたように立ち尽くしていたユウギは、少年の声で静止の呪縛から解かれる。


「ボクの名前はユウギ……知らずに迷いこんでしまったんだ。本当にごめんなさい」


ユウギはしどろもどろになりながらもちゃんと謝罪し、なんとか自分の宮までの帰り道を聞こうと必死だった。

「ユウギ…か…。お前、なぜ肌の色が白い?異国の者か?」

目の前の少年は怪訝そうに顔をしかめ、腰に差していた短剣に手を添えた。

似てるとは言ってもユウギよりも少年の方が体が一回り大きく、金の腕輪やら頭飾り群青のマントと、身に付けているものも段違いに立派だったが、何より決定的なのは肌の色だった。


「わかんない」

ユウギは警戒されていることにすら気付かず、正直に答えた。

「…………わからない、だと?」

「でもボクに優しくしてくれる人が言うには………長い間お日様にあたっていなかったからだろうって」

そう言って悲しげに視線を落とす侵入者に危険は無いと判断したのか、少年は剣から手を放しそのままユウギの頬に触れた。

「太陽神ラーの恵みを受けていないのか…」

突然触れられてユウギは驚いて体を震わせたものの、憂いを含んだ少年の瞳の紫に紅い色の彩が滲むのを見て息をのんだ。
蒼い瞳とはまた違う美しさ。
黒紫の闇に朝日が溶け出す奇跡のような瞬間にも思えた。

「……………どうした?」

フリーズしてしまったユウギの瞳を少年が覗きこむ。

「…えっ、あ……うん……君の瞳がとてもキレイだったから………宝石みたいだね」

ありのまま思ったことを言ったユウギだったが、少年はその言葉を聞いて軽く笑った。

「そう言うお前の瞳も美しい。よどみのない水のように透き通っている。
不思議だな……なぜ俺たちはこんなにも似ているんだろう」

ユウギの頬をなぜていた手が確かめるように耳からうなじ、そして襟足の髪の毛を手櫛で梳いた。
ユウギはくすぐったくて肩を上げたが、どうしてかその少年から与えられるものを拒否する気になれなかった。

「ボク…セト様の宮に帰れなくて困ってるんだ」

「セトの宮の者か。いいだろう、俺が案内してやる。抜け道を使えばすぐだ」

自分の主人のことを「セト」と呼び捨てにする人は初めてで、ユウギは驚いた。
本人の目の前でなければいいという訳ではないだろうに、自分とあまりかわらぬ歳なのにたいそう度胸のある子だなとユウギは手を引かれながら思った。

つないだ手は温かく、褐色のその人の肌はあの眩しい太陽のようで
さっきまで不安に支配されていた心はいつの間にか希望で満ち溢れていた。

「この塀を登れば向こう側はセトの宮だ」

「え……ほんと!?」

さっきの庭から数メートルも満たない場所だった。
迷っている間何度も通り過ぎていたのに…

「他の奴には内緒だぜ」

そう言って悪戯っぽく笑うと歳相応のあどけなさがあって、ユウギもつられて笑ってしまった。

「じゃあボクと君だけの秘密だね」

「ああ。あの中庭は俺ぐらいしか行かないから、来たくなったらいつでも来るといい」

「いいの?」

「ああ、お前が望むのなら」

「嬉しい」

セト以外の人間に自分を認識してもらえたこと、そしてセトの宮以外にも自分が許される場所ができたのは初めてで
ユウギは心が踊るようだった。

何度も感謝の意を伝えながら、木をつたって塀を越え、また向こう側の木をつたって無事に下りることができた。
辺りを見回すとセトの宮の見慣れた造りだとわかり、ユウギは戻ってこれたのだと安堵する。


「ありがとう!!まだそこにいるかな?ねぇ……」


壁の向こうへ声を張り上げてみるが、返事はなかった。


「名前…聞きそびれちゃたな…」


自分とよく似た、不思議な少年。
まるでもう一人の自分のようだとユウギは思った。


「もう一人の………ボク…」


頭に浮かんだ言葉をつぶやいてみる。
我ながら上手く考えた呼び名だと微笑んでいると


「ユウギ、そこで何をしている」

「セト様!」

少し離れた場所にセトと数人の神官、警備兵の一団がおり、セトは目ざとく雑木の中にいたユウギを見つけた。

朝も同じベッドで目覚めたのだが、ユウギはまるで久しぶりの再会のように感動し、
嬉しさのあまり駆け寄って周囲も構わずセトに飛びついた。

「おかえりなさい!こんな昼間にめずらしいね」

「用があって一時的に戻っただけだ。またすぐに神殿に行かねばならん」

「なんだ………」

ぬか喜びだったことにしゅんと頭を垂れる。

「皆の前で懐くなと言っただろう」

「はい。ごめんなさい……」

注意するセトはそう言いながらも抱きかかえたユウギを下ろそうとはしないし、
ユウギも謝れど回した腕を弛める様子もない。

宮に仕える者たちにすっかり見慣れた二人の光景を微笑ましく思いながら
ユウギが寝所まで送り届けられるのを見送ったのだった。






「蝶を追いかけていたんだ」

「ほう」

「とってもキレイな蝶だったんだよ…」






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