Lover's Loop





・水のまどろみ







視界は、蒼い。
垂れる天蓋は鮮やかな蒼色に染められていて、まるで空の上か、深い海の底にいるようである。
肌触りのよい絹の波を掻き分けて、いつものようにあの人がやってくる。
広いベッドの端で縮こまっていようものならその長い腕で引き寄せ、あっという間に抱きすくめられる。

浅ましい自分は求められる瞬間が嬉しくてつい隠れてしまうのだ。
必ず温かい胸に導き入れてくれるとわかっているから、せずにはいられない。
そうして今日も一日、その人の中に自分の生きる意味を見出す。


見上げるその人はいつも同じ顔。
感情豊かな人ではないが、長い間眠る前のこの緩やかな時間を共にしているうちに、言葉を交わさなくても微妙な空気の変化や感覚でわかるようになった。

外の煩わしさを引きずったまま寝室にやってくることも多かったが、寝る前に触れ合ったりじゃれあったりしているうちに彼のささくれた感情が静まっていくのがわかる。

絡みつく腕の先の長く美しい指で、隙間なく、まるで呪印でも刻み付けるように丁寧に体をほぐされる。
彼曰く、自分の体は虚弱で、未熟で、運動すらまだしてはいけないらしい。
なのでこうして眠る前に筋肉をなで血の巡りをよくしてやる必要があるのだそうだ。

これは彼の宮に来てから一日たりとも欠くことのない睡眠前の儀式。


小さな窓から入る月明かりが時折彼の瞳の蒼を刺し、まるで宝石に入ったヒビのように光彩が冷たく光る。
その美しさに見とれていることを悟られぬよう、まどろんだフリをして盗み見るのが好きだった。

長い腕に比例した大きな手の平はあたたかく、張り付くようになぜられると体の芯まで緩んでいくのがわかる。
二の腕、背中、首筋、腿や足首、内股に足の付け根など、触れられる道筋は決まっていて、
次に触れられる場所につい意識が行ってしまい、感触を待ちわびでぞくぞくと震えてしまうこともある。

そんな自分の姿に気付くと、その人は滅多に見せない笑顔を浮かべるのであった。


「おやすみなさい、……様」


やがて眠りに落ちていく。
温かいその人の腕に包まれながら。


その瞬間はまるで永久の幸福に思えるが、
幸福には必ず終わりがくることを自分はどこかで知っていて、たまらなく悲しくなるのだ。


次第に蒼は深くなり、色を失い、深い闇へ。













けたたましく鳴り響く、聞きなれた目覚ましの音。


「………………」


覚醒しきらないながらも見上げる天井が、ここが見知った自分の部屋であることを教えてくれる。


「………また、あの夢…」


忘れまいと必死に思い返す必要はない。
武藤遊戯はもう何度も同じ内容の夢を繰り返し見ていた。


「今日も……あんなにあちこち触られちゃって…」

実際に触れられたわけでもないのに、妙にリアルに残るあの手の感触を反芻する。
夢の中の自分は当たり前のように受け入れているが、こうして目が覚めてから客観的に分析すると
あれは友人同士のふれあいでも家族のそれにも当てはまらない。

彼の細い指先には愛情がこもっているし、それに…
あの手の平は自分の尻や、乳房にも及んでいるのだ。

手つきが特別いやらしいわけでもなく、
夢の中の自分の胸は胸と呼べるのかはばかられるほど無いに等しいとしても、だ。

「ボク………欲求不満なのかな」

思い出して赤面した。
夢というのは時に自分の潜在意識や欲求を反映しているという。


「にしても、今日もかっこよかったな…セトさん」

名前を口に出してさらに照れ、思わず布団を頭までかぶった。

そう、夢で同衾している人物を自分は「セト様」と呼んでいる。
そしてその人物は同じ学校、同じクラスの彼と名前も同じなら顔もそっくりなのだ。

夢に出てくる「セト様」のほうが少し肌の色が浅黒く、服装も布を巻いただけの簡単なもので、
身に付けているものも本物の金らしい腕輪やピアスをしている。
まるでどこか別の国の人のような、まるで童話かファンタジーの登場人物のようだ。

自分の想像力のたくましさに苦笑する。
夢の相手に、同級生の彼を選ぶなんて。


夢の中の自分は彼の腕の中で安心しきっていて、彼のことをとても信頼しているようだ。
心の奥底で、現実の彼とそうなりたいと思っているのだろうか…。

そこまで考えて、また赤面。


「遊戯、いつまで寝てるの!!遅刻するわよ!!!」
「わわっ!」

1階から咆哮するいつもの母親の怒鳴り声に反射的に飛び上がり、急いでリビングまで降りた。


「もう、高校生なんだからいいかげん一人で起きなさい」
「はーい」

お説教を右から左に流しながらトースターから食パンを取り、ミルクをカップに注ぐ。
朝の陽射しにいつものニュース番組。
あわただしく一日が始まってしまえば不思議な夢のことなどたいていどこかへ行ってしまうのだった。

「あー!デュエルマガジン!今日発売の。じーちゃんが買ってきてくれたの?」

遊戯は孫のために祖父が置いていったであろう愛読書を目ざとく見つけた。

「そうみたい。おじいちゃんもう出かけたわよ?って、遊戯、昨日言ったこと覚えてるわよね?
今日おじいちゃんが昔海外でお世話になった人が…」
「えー?なんだっけ…」
「もう…」

デュエルマガジンに関心が移ってしまっては何を言っても気持ち半分になってしまうことをよく知っている母親は、
ため息をついて説明することをあきらめた。

「とにかく、お客さんが来るんだから今日は早く帰ってくるのよ?わかった?」
「あー…うん。わかったわかった」

そう言いつつ目線は雑誌の見出しに向けられている。

「えー!このカード再収録されるの!?やったー!」

年頃になってもまだカード遊びやゲーム類を好む我が子を憂いてため息が追加で一つ吐かれたが、
当人はどこ吹く風だ。

「…て!もうこんな時間!!!」

ふいに視界に入った時計の指し示す時刻に驚いてパンを詰まらせそうになりながらも、
騒がしく洗面所へ向かい、歯を磨いた。
ドタドタと音を立てながら再び2階の自室へもどり、パジャマを脱ぎ捨てる。
母親によってアイロンが行き届いたパリっとしたシャツに腕を通し、水色のチェックのスカートのプリーツを翻してファスナーを上げる。
姿見で全身をチェックしながら、スカートと同じ水色のリボン帯をいそいそと首元で結んだ。

「……………」

ふと目線が胸元に下がり、まじまじと見てしまう。

「夢の中のボク……よりはあるよね」

けして豊かだとは言えないが、いくらなんでも夢の中の自分の胸はぺたんこすぎる。
むしろ夢だからこそ現実より都合がよくてもよさそうなものだが。

少し腑に落ちないながらも家を出る時間をとっくに過ぎていることに気付き、
慌ててピンクのブレザーを羽織ると転がるように玄関まで駆け落ち、大声でいってきますと叫んだ。




少し変わった夢を見続けているが、同じ夢を何度も見る人間もこの広い世界でいないわけではない。
武藤遊戯は平凡な女子高生だった。


そしてこの日もそれなりに平凡な一日をすごす…はずだった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
next

















 



 



inserted by FC2 system