・love or Notlove









無駄だとわかっていても十代は反射的に走って、たいした減速もせずにフェンスに飛び付き、見えるはずもない小さな石を探した。
しかし屋上からの広大な景色からそれを見つけることは不可能で、下まで降りようと振り返った時だった。

立ちふさがるように立っていたユベルに、初夏にしては少し肌寒い風が吹き付け、その紫の髪が逆巻いた。



「ヨハンのこと、好きなの?」


刺すような冷たい視線。
彼が転入してから数日共に過ごしたが、こんな表情を見るのは初めてだった。


「………………」


決して冷やかしや冗談なんかではない。それは十代にもわかった。
わかるからこそ、全力で応えなければならない。
少しでも誤魔化せば頭から食い殺されてしまいそうな、圧倒的なプレッシャーだ。

でもここで引くわけにはいかない。
売られた決闘は受けて立つのが決闘者だ。

「…………ああ、俺はヨハンが好きだ」

まっすぐな瞳で、十代は十代は素直に気持ちを打ち明けた。
それを聞いたユベルは渇いた笑いを漏らすと、何がおかしいのかせせら笑うように言った。
ただしその目は抑揚のない、相手を見下すような荒んだ色をしている。

「あははっ………そーなんだ。ヨハンって、顔はいいもんねぇ」

「顔は………っ確かにいいけど…、それだけじゃないぜ。一緒にいると楽しいし、いい奴だ」

負けじと言い返す十代を試すかのように、ユベルはサーカスのクラウンのごとく大げさな身振り手振りでさらに続ける。

「『楽しい』と…『いい奴』なんだ?『いい奴』だと『好き』になるの?」

「…………好きって……そういうもんだろ。い、一緒にいたい、とかさ…」


十代が普段は決して口にしない言葉だ。もちろんヨハンにさえ直接言うことはない。
恥ずかしさをこらえながらも十代は言い負かされまいと奥歯を噛みしめた。

「それって君のたくさんいるお友達とどこが違うの?どうしてヨハンだけ特別なの?」

「それは……っ」

突き詰められていく尋問に、十代は言葉を詰まらせる。
今までそんなに深くヨハンのことを考えたことはなかった。

楽しくて、一緒にいたくて、大好きで…

それだけじゃ、駄目なのか?


十代が言い淀んんだのを見計らったように、ユベルは衝撃的な言葉を投げる。


「ヨハンって、エッチうまかったでしょ?」

「な…………」


その言葉が耳から入り頭に届くと、ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたようにうまく呼吸ができなくなった。
ユベルのたった一言で、一瞬にしてあらゆる悪い想像が脳を駆け巡る。

たとえどんなに「信じている」ときれい事を並べても、何度身体を繋げても、所詮は他人だ。
心の奥底では何を思い、何を隠しているかなんてわからない。
ましてや今まで二人ですごしたわずかな時間は、その疑念を取り払ってくれるほど力を持ってはいなかった。

たしかに十代が初めてヨハンに捧げた日、彼自身も初めてだと言っていた。
初めてにしては男同士でもうまくいったし、お互いも絶頂を迎えることができ、満足できる行為であったことは間違いないが、それは二人がお互いを想い合い、気遣い合って高めあったからだと十代は思っていた。

が、聞いてしまった以上ユベルの言葉を放ってはおけない。

「…………ヨハンとつきあってたのか?」

セックスしたことがあるのか、と聞けなかったのは、その答えがイエスだった時耐えられそうになかったからだ。

「いや、つきあってないよ」

その言葉にほっと胸を撫で下ろす。

「…………わかるでしょ?ヨハンってそーいう奴なんだよ」

「……どういうことだ?」

「他にもいっぱいいたよ?ヨハンに泣かされた子」

十代は脳が勝手にはじき出す悪い想像と必死に戦っていた。
相手の言葉に飲まれてしまってはいけない。

しかしすでに顔面は色を失い、浅い呼吸しかできなかった。


「僕の初めてはヨハンだし」


もう、聞きたくない―――。


十代は耳を塞いでしまいたかった。


ヨハンとはどういう人間だっただろう。
自分の中のヨハンを壊さないでくれ。

俺と出会う前のヨハン。
俺の知らないヨハン。

ヨハンはどうして今、ここにいないんだろう。

「ねぇ十代………本当にヨハンのこと好きなの?
エッチな気分に流されちゃって……そう思い込んでるだけじゃないの?」

耳元で囁かれる悪魔の声。
奈落の底に突き落とされるような絶望を感じながらも、十代は拳を握り、気力を振り絞って答えた。

「………俺がヨハンを好きじゃなければ……今のお前の話を聞いてこんなに辛いはずがない」

「……なるほど、それも一理あるね」

ユベルは感心したように頷いた。

「でも自分が騙されてたことがショックなだけかもよ?」

意地悪く笑い、追い討ちをかける。

「…………………まぁ、十代とはちゃんとつきあってるみたいだから驚いたくらいだよ。
僕は心配してるんだ……君が傷つかないかって」

「そんなのはよけいなお世話だ。
それに…………俺はヨハンから直接聞くまで信じない」

震えた声のせいで虚勢であることはバレバレだったかもしれないが、十代はユベルに対して言い切った。
二人の間に緊張が走り、沈黙が訪れる。

「ああそう。まぁ君が泣こうが捨てられようがどうでもいいけどね」

ユベルが一言言い捨てると、きびすを返して屋上から去り、姿が見えなくなると十代は一気にその場にへたりこんだ。




「…………あれは、明らかなライバル宣言だよなぁ……」


仮に…、仮にヨハンとユベルが過去に何かあったとして、ヨハンは今ユベルに興味がないとする。
でもユベルはまだヨハンが好きなのだ。
そうするとヨハンの恋人である自分は疎ましい存在以外の何者でもない。

牽制と、宣戦布告……そんなところか。

はぁ、と十代は大きなため息をついた。
きっと一ヶ月前の付き合い始めた頃ならもっと言い返せたはずだ。
それができなかったのは………最近自分の中で生じているヨハンとのひずみのせいに違いない。



空腹だったはずのお腹はもはやそれどころではなく、十代は何事もなかったように青く晴れ渡る夏空を見上げていた。





* * *




屋上を後にしたユベルは、階段を下りていく途中で外国語担当のクロノス教諭とすれちがった。
会釈をしにこやかにやりすごしたが、何かを思い出したのか教諭を呼び止める。


「クロノス教諭、お伺いしたいのですけど…屋上って確か立ち入り禁止でしたよね?」

屋上へ上がっていく生徒を見かけましたよ。注意したほうがよかったのか、迷ってしまって…


ユベルが言い終わらないうちに教諭は現行犯を捕まえるべく、猛然と廊下を走って行ってしまった。


「フフ、しーらないっと」



その後ろ姿を見ながらユベルは蠱惑的に微笑むと、鼻歌を歌い歩き出す。

手にはプリズムが握られていた。






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