・cumulonimbBus cloud







「まったく、本校始まって以来の問題児なノーネ!」

外国語科担当兼学年主任のクロノス・デ・メディチ教諭はなにかにつけて大げさに立ち振舞うが、この時はさらに拍車がかっていた。

「こんなことは私の教師生活であってはならないノーネ!シニョール十代は四月に入学してからというものの、学校に不必要なものを持ってきてトイレ掃除三回、遅刻は数知れず、郊外学習での無断早退などなど……枚挙にいとまがないノーネ!!」

「まぁまぁ、クロノス先生そんなに興奮しないで…」
「校長センセイは黙っていて欲しいノーネ!彼は私の授業をいつも居眠りしているノーネ!許せないノーネ!」

鼻息の荒いクロノス教諭の様子を見て、鮫島はこれは簡単には片付きそうもないと肩を落とした。
ようするに遊城十代は前々から教諭に目をつけられていて、今回立ち入り禁止区域にいたことが発覚し教諭はまさに鬼の首を取った状態なのである。

普段は元気で明るい十代が顔を伏せ、すっかり暗くなくなってしまっているのは母親を呼び出されたことが効いているのだろう。
校長室のソファーで親子は気まずい距離を取って座っていた。

「この度は本当に申し訳ありませんでした。息子にはよく言って聞かせますので」

十代の母親は仕事の途中で学校から連絡があり、一度家に帰る間もなくそのままやって来た。
かっちりとした黒のスーツにメガネ。十代と同じ栗色の髪をすっきりとまとめてシンプルな髪飾りで止め、いかにも仕事ができそうな感じでクロノス教諭は本当にこの問題児の母親なのかと一瞬疑ったほどだ。

「我々が今回のケースを重要視しているのはですネ…屋上からシニョール十代の私物が発見されたことなのです。
つまり!彼は今日たまたまあの場所にいたのではなく…日常的に使っていたということでスーノ!」

畳み掛けるクロノス教諭に十代の母はひたすら頭を下げることしかできず、そんな光景を目に入れたくなくて十代はぎゅっと目をつぶる。

「すべて私の教育が不足していたことに責任があります。本人も反省していると思いますので、家でよく話し合いたいと思います」

「……………そうは言いましてもネ、お母様。家庭調書によりますとお母様は某大企業のキャリアウーマンでいらっしゃる……それは大変すばらしいことデスーノ。し、かぁーし!出社は朝早く、帰りも遅い不規則な生活………うちの学校の先生の中には、放課後ゲームセンターや繁華街でシニョール十代を目撃したことがあると言っている先生もいるのでスーノ。ご存知でしたカ?」

「そ、それは………」

母親が膝の上に置いていた拳を固く握る。

「ご存知ない?まぁ、そうでしょうネ……お母様は学費や生活費…いろんなものを支えなければならない…片親ですからね。シングルマザーと言うんでしたっけ」

「……………っ!それと俺がしたことは関係ないだろ!先生!!」

十代は顔を伏せていたが、こればかりは黙っていられないと立ち上がって怒声を吐いた。

「十代!先生になんて口を……やめなさい!!」
「でも……!」
「十代!!!」

母親は強い剣幕で叱咤したが、十代は怒りが収まらず今にも掴みかかりそうだった。

「今回のことは俺が自分の意思でやったことだ!!立ち入り禁止なのは知ってた。だから悪いのは俺だけだ。母さんは関係ない」
「十代座りなさい!!!!十代!!!」

校長室に張り詰めた空気が流れ、鮫島は一体どう収拾をつけようかと頭が痛くなってきた時、クロノス教諭はさっきまでの厳しい表情とはうって変わりニヤリと微笑んだ。

「フム……自分が悪いと認めているのですノーネ。では処分を受ける覚悟がある、と」
「ああ………1ヶ月トイレ掃除でもなんでもやってやるよ!!!」

十代は威勢良くタンカを切るが、そんなもので済めばいいほうだと鮫島は内心ヒヤヒヤしていた。

「わかりマシタ。処分は追って通達しまスーノ。今日はこの辺で勘弁してあげるノーネ」

恩着せがましい言い方が癪に障ったが、自分のせいで母親が責められるという一番避けたい状況から放免されるならと十代は大人しく引き下がった。

「シニョール十代、最後に一つだけ質問がありまスーノ」
「なんだよ」
校長室を去ろうとするところを呼び止められ、十代はふてぶてしく振り返った。

「………他にあの場所に立ち入った生徒はいないでショウネ?」
クロノス教諭は十代の表情を一ミリも見逃さないといったねっとりとしたヘビのような目つきで尋ねる。

「……………………いません。俺だけです」
「…………フム。行ってよろしい」

十代は大きめの音が出るようにわざと引き戸を強く閉めると、母子は校長室を後にしたのだった。










ゴロゴロゴロ…



朝から抜けるように晴れていたというのに、午後からは黒い雲が街を覆い、空から無性に不安にさせるような音が響いていた。
夏の天気は変わりやすい。
十分に水分を含んだ積乱雲は重く、間近に迫ってくるような気さえする。

「……………一雨きそうっスね………」

教室から遠くの景色を眺めていた翔は、視線をそのままある人物の机に落とした。

「兄貴……どうしちゃったんだろう………」

昼休みが終わり午後の授業が始まっても十代は現れず、もう6限が始まろうとしている。
人よりも臆病なことを自分でも気にしていて、尊敬する兄に少しでも近づけるよう自分でも直したいと思っていた翔だったが、感じてしまうものは仕方がない。
空からの不吉な音と同級の大切な友人を心配する気持ちと相まって、言い知れない嫌な予感が胸を掠めた。






「………あー…ついに降って来たな」


窓の外が白むほどの大粒の雨を見てジムは彼のトレードマークであるテンガローハットを被りなおした。
故郷でも雨は降るが、その時の匂いは国ごとによって違うのだと留学してから知った。


「嫌だなぁ僕傘持ってきてないや。どうしよう…」
「日本の雨もいいもんだぜ。ジョーチョがあってさ」

テスト勉強のために教科書にマーカーを引きながら独りごちるユベルに、ヨハンは知った風な口ぶりで言った。

「??ジョーチョって何?」

知らない言葉を使われて少しおもしろくないユベルは眉根を寄せる。

「ん?知らないのか?ジョーチョってのはなぁ……」

打ち付ける雨を遠くに見ながら、ヨハンは十代と結ばれた日のことを思い出していた。
あの日も雨が降っていて、二人でびしょ濡れになったっけ。

あの時は十代への気持ちが苦しくて、自分を守るために切り離そうとしていた。
思えば馬鹿なことをしようとしたものだ。
昼休み会えないだけでもう寂しさが募るのに、十代のいない生活なんて今は考えられない。

雨の中のあの場面はまるで映画のワンシーンのようにヨハンの脳裏に焼きついて、思い出す度彼の心を甘くする。

「???だから何ってさ、もう!ヨハン!」

会話半分で自分の世界に入っていくヨハンにユベルは呆れて何も言えなくなった。
この様子なら自分が大切な石を失くしたことにも気付いていないだろう。

「あぁ、悪い悪い。夏の雨はすぐ止むから大丈夫だろ。濡れてもすぐ乾くしさ」
「………………」

ニヤついて話すヨハンにユベルは面白くない。
どうせ十代関係だろう。ユベルは勘のいい子供だった。

「…………わかんないよ?雷に打たれて、焼け死んじゃうかもよ?」
「は……・?」

不吉なことを口にしながら笑みを浮かべるユベルに、相変わらず変な奴だとヨハンは気味悪がった。



雨は益々強くなって何度も稲光が空を走り、響く雷鳴に生徒たちは午後の授業を受けるどころではなく、多くの生徒が濡れて帰るハメになってしまった。
それを免れたのは一人…皆より先に帰宅させられた十代だけだった。

その夜遊城家の電話が鳴り、フテ寝していた十代だったが彼以外に電話に出る者がいないので煩わしく思いながらも電話に出た。

電話の相手が学年主任であろうが十代は寝ぼけた態度を変えることなく、受話器越しから五月蝿いくらいの声量に耳を痛めながらもゆるく受け答えしていたが、その内容に愕然とした。

彼に言い渡された処分、それは――

『イタリア語の期末試験で90点以上取ること。
1ヶ月間留学生用の寮で生活し、規則正しい生活習慣を身に付けること。』


「……………うそだろ…」



十代は黙って電話を切った後、呆然と立ち尽くしていた。





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next (coming soon)













 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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