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「………というわけで今日からみんなと一緒に学ぶことになった、ユベル・ダス・エクストレーム・トラウリヒ・ドラッヘ君だ。短い間だが、異文化に触れるいい機会なので積極的に親交を深めるように」
はあい、と小学生のクラスかと思うほど元気な返事が響く。
自分たちのクラスだけ留学生がいないというちょっと寂しい処遇がついに日の目を見るのだ。
ユベルは半そでのシャツにベーシュのニットベストをさらっと着こなし、彼の母校であるアークティック校のチェックのスラックスをはいて悠々とあてがわれた自分の席へ向かった。
みな興味津々といった目線を新しい学友に送っている。
「……十代、よろしくね」
俺の隣で椅子を引き、昨日見たのと同じ笑顔を向ける異国の少年……いや、ヨハンの後輩か。
「お前の苗字ってどれ?なんて呼べばいいんだ?」
わざとからかうように言うのは、歓迎の意だ。
「普通にユベルって呼んでよ。早くみんなと仲良くなりたいんだ」
クスっと口元に手をあてて笑う仕草は独特で中性的な印象、柔らかい物腰に年下ということもあって、
ユベルはあっという間にクラスの人気者になった。
「ユベル君すごい人気っスねーあんなに人だかりが…他のクラスの女子もいるっスよ」
授業の合間は絶え間なくユベルの机を人が囲み、その隣の俺の席に来ていた翔はあまりの盛況っぷりに感嘆の声を漏らした。
「いい奴そうじゃねぇか」
「そうスね〜でもボクはああいう人当たりのいい優等生タイプは裏があるって思うんスよね」
翔はなぜか得意気に自分の分析を発表する。
「バーカ、よく知らないのにそんなこと言うもんじゃねーよ。妬みに聞えるぜ」
「うー、そんなんじゃないっスーボクの勘ていうか…」
俺の言葉に翔はしゅんとしょげ、いじいじと机の木目に沿って指を滑らせていた。
「……兄貴怒った?」
捨てられた子犬のような目をするのは翔の癖というよりはすでに必殺カウンター技で、皇帝カイザーと呼ばれる翔の兄ですらこの上目使いにはかなわないのである。
「……怒ってねーよ」
しょうがねーなと翔の頭をポンポンと叩くと、うって変わったように笑顔になり途端に機嫌がよくなる。
「へへ……兄貴ぃー今日くらい一緒に昼ゴハン食べようよー」
「え………あー……、ごめん」
「もー!たまには教室で食べてくれたっていいじゃないスかー!いつもどこで食べてるのかも教えてくれないしー!」
落ち込んだのち笑顔になったかと思えば急に怒髪天、感情がコロコロ変わるところは嫌いではないが
それとこれとは別だ。
友情より恋愛…なんて順位は付けられないけど、それでも限られた時間できるだけヨハンと一緒にいたかった。
ただでさえ最近は会えばヤるだけで、こう、コミュニケーションが足りない気がする。
いや体のコミュニケーション「だけ」は取れているのだが……
肉体言語なんて言葉もあるけど、肌でわかりあうには俺たちはまだ日が浅くて、
いつの間にか出来た小さな傷が俺の心に不安をもたらしていた。
翔には悪いが、なおさら今ヨハンと会わないわけにはいかないんだ。
とにかく、今日は会っても絶対絶対ヤらないこと!
小さな決意を秘め、なんとか翔をなだめながらも、この時俺は気がつかなかった。
隣でクラスメイトと楽しそうに話す転入生が、俺たちの会話を聞いていたことを…
「あー、食った食った」
初夏の風が吹きぬける屋上、陽射しも強くなった最近は日陰に逃げ込んでくつろぐようになっていた。
いつも通りパンやら菓子をたいらげると、渇いた喉に炭酸を流し一息つく。
「ヨハン今月のVジャン読んだか?ルール改定前に出る新パックさー…」
「あー眠ぃ……」
並んで座っていたヨハンが、俺の肩に頭を預ける。
会話が成立しなかったことに若干イラつきを覚えながらも、やはり好きなので気遣う言葉くらいは言ってやる。
「……寝不足なのか?」
「…うーん………そうじゃないけど……十代がキスしてくれたら目が覚めるかも」
「……………」
早速来た…!
こういう軽いおねだりに気軽に応えてしまうといつものようにエスカレートして昨日みたいなことになる。
「夏バテには気をつけろよ、ヨハンはただでさえ暑いのに弱いのにさ」
「うん……ほんと、日本の夏は……噂には聞いてたけど、まだ7月だってのにキツイぜー」
情け無い声を出し、さらに俺に寄りかかり体重をかける。
ヨハンの細い髪があたり首筋がくすぐったくて俺は尻の辺りがムズムズしていたが、そんなことをヨハンに知られるわけにはいかない。
「あ、暑いなら離れろよ…」
「やだー」
離れろといえばよけいにくっつく。
ヨハンの性格はどこか子供っぽくてわがままで、少々強引なところもある。
でもそんな表情も見せてくれるのも自分の前だけだと知っているから、会う前のどんな強い決意もヨハンの翡翠の瞳の前ではいつもむなしく白旗を振るのだ。
「ヨハン、夏休みだけど…」
「んー…なぁ十代、チューしよ、チュー」
敵もなかなか簡単にはあきらめてはくれない。
別にキスが嫌いなわけじゃない、ヨハンのキスはうまくてどちらかというと好き…ってそんなのはよくて、
そこから流されてまた体を重ねることになるのが嫌なのだ。
盛り上がってしまえばあらがう自信もないし、行為が終われば昨日みたいに落ち込むはめになるだろう。
俺はもっとデュエルの話とか、夏休みどこにいくかとか二人の計画を立てたいんだ。
考えたくもないけど、ヤれればそれでいいのか?という疑念が日増しに大きくなっている。
「やだ」
「なんで!?」
「…………………」
「………なんか怒ってんの?」
「そうじゃないけど」
「拗ねないでくれよーじゃー俺からチューしてやる」
あくまでヨハンはじゃれあいの領域で、真面目には取り合ってない。
それはいいんだけど、こういう小さな俺のサインに少しでも気づいてくれているのだろうか。
「うわっ、やめろよ」
ぐったりしていたくせに急に元気になり、俺に覆いかぶさってくる。
肩をつかまれながらもなんとか首を左右に振り、ヨハンをなんとかかわした。
「そういうプレイもいいな」
「プレイじゃねぇっ!」
しばらくすったもんだを繰り広げていた俺たちだが、俺はふと人の気配がして辺りを見回した。
「…………!」
「おっ、やっと観念したか」
驚いて固まっている俺の半開きの口に、ヨハンがちゅう、っと唇を突き出して触れる。
が、俺は目の前に立っている人物とばっちり目があってしまいそれどころではなかった。
「ユ、ユベ………」
口をぱくぱくと動かし、ヨハンにもなんとか伝えようと震える指で紫髪の侵入者を差した。
「ん…?」
さすがのヨハンも何事かと振り返る。
つか、見られた…!キスしてるとこ……!
「いけないんだぁ。ここ、立ち入り禁止なんでしょ?」
何度か見た笑顔はいつも同じで、その表情から真意は読み取れない。
屋上を使っていることがバレた上に、男同士でキスしているところを見られるなんて…
ふざけていたと言って通用するだろうか?それとも海外では今のキスくらいは普通…?
なんと言い訳しようか頭の中にいろんなフレーズが浮かび、俺はパニックになった。
「わかってんならお前も入って来んなよ」
ヨハンの声はあくまでも冷静だ。
むしろ見られたこともなんでもないって感じがする。
「君たちが屋上にいるのが教室から見えたからさ、何してるのかなーって」
ユベルの言葉に息を飲む。
日陰に入るために定位置から移動した場所が下から見えていたのは迂闊だった。
「昼飯食ってンだ。先生には言うなよ」
そうだ……ヨハンとユベルは友達なんだから、チクったりはしないだろう…
まだ大分問題はあるが、とりあえず胸をなでおろした。
が、
「いいよ。そのかわり、ボクもここでご飯食べてもいいかな?」
なんてユベルが返したものだから俺は再び目を見開いた。
嫌だ。
この時間とこの場所は、俺とヨハンが唯一二人だけになれるところなのに。
いや。
絶対嫌。
ヨハンまさかいいよなんて言ったりしないよな?
お願い……
表情には出さないものの、俺は内心祈るような気持ちだった。
「…………………」
ヨハンはしばらく黙っていたが、
「俺と十代の場所だから来るな」
と言い放った。
表情は真剣で、翡翠の瞳に藍が刺す。
ヨハンが今みたいな相手を抑圧するような声を出した時は妙に気迫があって、それに反抗できる人は誰もいないんじゃないかって思う。
「………………そう、わかったよ。早い者勝ちってわけだね」
その時初めて笑顔以外の、不本意そうな表情を見せ、
「仕方ない」と肩をすくめユベルはあっさりとその場から去った。
緊張が解かれた俺は耐え切れず息を吐き出す。
「はぁ〜〜〜………びっくりした………」
「よりによってアイツに見られるとはな。ややこしいんだよな〜〜〜あいつ」
ヨハンがめんどくさそうに頭をかいたが、俺はユベルのどういったところが「ややこしい」のかわからずにいた。
おそらく彼らが今まで友好関係を築いてきた結果、出てくる言葉なのだろう。
「でもよかった………」
「ん?」
「いや、なんでもない」
この屋上が守れたことも嬉しかったが、ヨハンがバシっと言ってくれたことがとても嬉しかった。
「ヘヘ……ヨハン大好き」
「なんだぁ?どうしたんだ。急にかわいいじゃん」
そして軽いキスをし、昼休みは俺の望んだ通りそれだけで終わった。
教室に帰ってもユベルは何事もなかったように笑ってくれて、さらに安心する。
やがてチャイムが鳴り、着席する生徒がバタバタと行き交う喧騒の中、ユベルは一人呟いた。
「……………なかなか、面白くなりそうだね」
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