BLACK RAIN








・終わりの始まり






サテライトには黒い雨が降る。


空気中の汚染物質やホコリ、ススなんかが混じって降り注ぎ、再びサテライトの土を黒く染める。

服や髪に付くとなかなか取れず、黒い染みが水玉を作って肌にこびり付き、サテライトに住む人たちの悩みの種だったが、あまり身なりにこだわらないクロウは雨の中でも気にせず出歩いていた。


人気の少ない廃墟の隙間を縫って歩く。
自分が生きていくために必要ないくつかの缶詰と、数枚だがカードも手に入った。

紙袋から落としてしまわぬよう底が抜けてしまわぬようバランスを取りつつ、早足で我が家に帰る途中。

急ぎすぎていたせいか運悪く、というよりは知らぬ間に、どちらかといえば通らないでいた方がよかった通路に来てしまっていたことにクロウは気付いた。

引き返そうかと足を止め、身を翻した…時にはもう塞がれていた。

迷いこんだのは近頃その地域を仕切っている名の通ったゴロツキのチームがよくたむろしているテリトリーだったのだ。

後方を塞がれ、ならば違う道へと切り返すも複数人に囲まれてしまっている。

「……………持ってるモン、置いていきな」

「馬鹿野朗、そう言われて素直にハイそうですかってわけにはいかねーんだよ」


負けん気の強いクロウは攻勢しつつも、逃げるチャンスを探していた。

まともにやりやうにしてもこの人数では分が悪すぎる。

荷を捨てるか?
立ち向かうか。

クロウの取る道は一つ。―――荷物を持ったまま逃げる。


「待てェ!!」

突破口に相手に投げつけた缶詰は諦めるとして。

背中に男たちの罵声を聞きながらクロウは全力疾走のまま角を曲がった。
ただでさえ雨で紙袋の耐性が弱くなってる。早く逃げ切らなければと考えていた時、待ち伏せしていた仲間に出会い頭鼻っ柱を思いっきり殴られた。

濡れた地面に缶詰が転がり、散乱する。カードも濡れてしまった。

「ぐ…………」

不意打ちで殴られ軽く脳震盪を起こしたクロウは地面に転がり、さらに踏みつけられる。

「汚ぇ。まるでドブネズミだな」

嘲笑する声が雨に混じり降ってくるが、クロウは朦朧とする意識を失わまいと必死に土を掴むことで精一杯だった。

「マーカー付きか………しかも額のそのMのマーク……お前、『あの』クロウ・ホーガンか?」

一人の声色が変わり、目的が荷物だけではなく自分にも向けられていることをクロウは察した。



ツイてねぇな…
収容所の俺を知ってる奴がいるのか…


口に入った砂利が奥歯で不快な音をたてる。

サテライトには収容所を経験した者も多く、中には所内でそういったことを覚えてくる奴も少なくない。


「おいおい、やめとけよ。そんな汚ぇ奴、ビョーキになっちまうぞ」
「お前知らないのか?クロウ・ホーガンと寝た奴は――――――――。」

笑い声を含んだ声は嫌悪を呼び覚まし、クロウは身の危険を感じて這いつくばってでも逃げようと手足を動かした。

「はっ、ゴミが。無駄な足掻きしてんじゃねーよ」

腹部を蹴り上げられ、ガラクタの山に突っ込む。
ネジや加工されて尖った鉄の破片がクロウの肌に赤い線を作り、雨に混じって流れた。

それから複数回殴り蹴られた後、無抵抗なままクロウは廃工場の中に連れ込まれる。

「ち……くしょう!!離せこのオカマ野朗!!!」

相手はクロウより体格もよく、長身で腕も太い。それでなくてもクロウは人より体が小さかった。

 同じようなものを食べて育ったはずの幼なじみ2人がかなり長身なことを考えれば、発育不良だとか虚弱体質だとか言われてもしかたがなかったが、一番栄養を取るべき時期に孤児として道端で生活していたのが原因なのか、背は伸びず手足も華奢だった。

しかしそんな体のサイズの数倍は大きい態度と度胸、
とにかく気が強いクロウは腕力で相手に服従したり負けたりするのを一番嫌っていた。

虐げられる弱者をニヤついた男達が満足気に囲む中、クロウは胸倉をつかまれたかと思うと衣服が引き裂かれ、
薄い胸板があらわになる。


「やめろ……!俺に触るな!」


閃光のように脳内に走るフラッシュバック。
記憶の隅に閉じ込めておきたい映像が溢れだしそうで、クロウの顔が恐怖で強張った。


「すぐ済むからよ…暴れンじゃねーよ」
「ち……ソーロー野郎が」
「んだと…」

激昴した男が鋭いスタッズの付いたブーツでクロウの腿を蹴り、クロウの叫び声が建物に響く。

「なんでもお前、とんでもない名器らしいじゃねえか。そーいうモンはみんなで共有しねーともったいねーだろ?」



『クロウと寝れば天国へ行ける』――――――――。



一体誰が言い出したのか…クロウを組み敷いた何人かの男たちの誰かには違いないが、
本人にとっては忌まわしい称号である。

カチャカチャとベルトを緩める音がし、男が舌なめずりする音が聞こえる。
四肢が腫れあがるほどに打撲を受けたクロウはそれでも相手を睨みつけていた。


「へへ最初は咥えてもらうとするか。噛むんじゃねーぞ。オイ、混ざりたい奴はいるか?」



くそ……
ここはもうあそこじゃねえっつーのに…



朦朧とする意識の中、乱暴に髪を掴みあげられ、強引に口内に太い指をつっこまれる。
工場用の油と土の味がし、吐き気と嫌悪が喉の奥を刺激した。


いっそ意識を手放してしまえば……
後からくる体の痛みだけで済むのかもしれない。
あの大きな鳥籠にいたときみたいに、心を空っぽにして、嵐が過ぎ去るのを待つだけ。


霞みゆく視界を、頭を強打した傷から流れる血が赤くしていた。

さっきからトタンに叩きつける雨音がやたら耳について、不協和音が止まらない。




あー………
だから雨は嫌いなんだ。







クロウは静かに目を閉じた。















ザッ、ザッ…





テンポよく砂利を踏みしめて歩く音がする。
雨音が消え、静寂の中たった一つ響く誰かの靴音。



硬く、でも温かい背中でクロウは目を開けた。


「………誰だ?」


ゆらゆらと揺れて、おぶられていることだけはわかった。
首筋に流れる、蒼白い髪。


「目が覚めたか。俺は鬼柳京介つー行きずりのもんだ」

「…ってぇ…」


体を動かそうにもダメージが大きく、簡単ではない。
おぶられている振動ですら傷に響いてクロウは顔を歪めた。


「かなり重症だからまだ動かねぇほうがいいぜ。なぁに、俺が安全なところまで連れてってやるよ。
お前の寝床はどこだ?」


突然現れた鬼柳京介という人物を信頼していいのかどうかはわからなかったが、
クロウはまだはっきりと思考できず、普段なら冴え渡る勘も上手く働かなかった。

なんとか自分が家としている港近くの場所を伝えると、再び彼の背中にもたれかかる。


「俺の、名前は………」


瞼が重くのしかかり、体の回復を図ろうと眠気が襲ってくる



視界が、赤い。
深い赤。血の色。

鬼柳が着ている服の色だ。


女の髪のようにまっすぐで、白い糸のような首筋の髪に顔をうずめるとまた意識が遠のいてくる。

鬼柳の背中は温かく、雨に打たれ冷え切った体には心地よかった。






再び闇の中へ…。






「………知ってるぜ。クロウ・ホーガンだろ?」



厚い灰色の雲が覆うサテライトの空の下。

瓦礫の道なき道を歩く鬼柳は―――――――誰にも見られることなく、ニィ、と笑った。









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